ケニアとのものづくり

きっかけは

物販を通してものを作って、物が売れる喜びを知りました。

MyStyle起業塾で学んでいく中で、物販に力を入れていきたいと気づきました。

しかし、雇われるという仕事を持ちながら自分でものを作り物を売る、すべての工程をひとりでするということに

自分の力の限界を感じ、久しぶりにFacebookを開くと

わたしがリボンのお教室や物販の活動に力を入れていた時

「いつか一緒にできたら良いね」

と言っていた友人がケニアに渡り

ケニアの生地を使って商品を作り、物販していることを知りました。

その生地や商品がとても可愛く惹かれ

わたしのお店でも取り扱ってもっと日本に

商品の魅力や彼女の活動を広めたいなと思い

「卸もしてる?」と声をかけたのが始まりです。

わたしは彼女の作ったものを卸して自分のお店で売るつもりで声をかけましたが

彼女はわたしに

「作りたいものない?一緒に作らない?」

と提案してくれたのです。

そこで、わたしもものづくりに参加できるのならと

わたしが作りたいものを伝え、それをケニアで商品化し、

わたしが日本で売るという事で始まったのがこのケニアとのものづくりです。

一緒に仕事を進めていく中で彼女はケニアでどんな想い出を持って活動しているのかを惜しみなく教えてくれます。

そのひとつがSDGsです。

彼女の夢やわたしの夢を語り合う中で彼女は私たちの活動はSDGsにつながっていると教えてくれたのです。

地球や環境、日本のために何もできないと諦めるのではなく、個人レベルで何ができるかを考えていくことが必要とされていると。

そこでわたしたちの取り組みはものづくりを通して

つくる責任、つかう責任

を伝えていけたらと思い始まります。

つづく



第2話



今回はケニアとのものづくり②

ものづくりを通してSDGsを知ろうです。

ケニアで暮らす友人(現在は新型コロナウィルスの影響により帰国しています。)とものづくりの

ミーティングをしながら




↑ミーティング風景


友人がケニアに渡った理由

親戚の結婚式で2014年2月にケニアに初めて来る。

それまで全く縁の無かったケニアの人たちにたくさん歓迎を受け、優しさをもらい、心の豊かさに感動。恩返しができたらと思い、2015年9月に9年半務めたアパレル会社を退職後、ケニアのNGO・Africa Children Education Fund(アフリカ教育基金の会)でボランティアを始める。

ケニア人の明るさ、途上国ならではのエネルギッシュさに惹かれて日本ケニアの行き来を繰り返している。ケニア滞在2年以上。

日本よりはモノは少ないが、豊かさとは物の量ではなく、心で感じるもの!と気づく。

ケニア人と喜びをシェアする日々を楽しんでいる。


 友人はものづくりを通してSDGsの大切さを語ってくれました。


そのひとつひとつをわたしなりの解釈を通して

これからお伝えしていけたらと思っています。

SDGsとは






SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり


2030年を目安に達成すべき世界を変えるための17の目標です。

教えてもらった時内容はスッとは入ってきませんでした。

でも、友人に薦められた本を読み

少しづつ大切なことでありわたし自身の活動にも

繋がっていると感じました。

ものづくりを通してわたし達が伝えていきたいのは

12.つくる責任、つかう責任

それ以外にものづくりを通して沢山のSDGsと向き合っていけるのではないかと思いました。

まず、ものづくりを通して

ケニアの女性達が仕事を持つことができる

1.貧困をなくそう

に繋がっていると思うのです。

女性も男性も協力して同じ戦友として

家庭を支えることが

5.ジェンダー平等を実現しよう

にも繋がっていると思います。

わたしはママになり今まで通り仕事をこなしながら

育児や家事をする

雇われているといろいろ規制があり

心から許せる両立は難しい

と思い何も諦める事なく自分らしく働けるかたちはないだろうかとこのような活動を始めました。

周りのママ達と悩みをシェアすると

何度も理想の職場を探し転職したり

正規雇用を諦め非正規雇用を選ぶ女性が

日本にもたくさんいる事を知りました。

女性が結婚、出産後も働きやすい未来を掲げているのはまだまだ大企業だけの取り組みだったりする

そして、その大企業で働く女性だって

仕事に対する熱量は失わなければ子育てはできない環境下にまだ置かれている

日本の女性が今以上に家庭と仕事を両立しやすい未来を作ることも

SDGsに繋がっている。

男性も女性も同じように家庭を支える事で

思いやりも生まれます。

思いやりは心の豊かさが無ければ生まれません。

そして、その豊かさを自分だけでなく

周りにも広げていく事がSDGsの取り組みになっているのではないかと思います。

今、自分にある問題と向き合い取り組む

その取り組みを周りにも少しづつ広げていくだけで

SDGsに繋がっている。

友人の言葉で

「豊かさをシェアすれば良い」

がとてもこころに響きました。

わたしはそれまで慈善事業はそこに寄り添わなければ出来ない活動であり

わたしには無理だなと思っていたからです。

それでも千葉県が台風被害に遭った時

自分に何かできないかと真剣に思い

募金をした。

でも、それは間接的で直接被害を受けた方達に届くのか謎だった。

「支援をしたい人はたくさんいてもそれが目に見えるかたちでないと意味がない。
どんなかたちでも支援者に目に見えるかたちで届けたい」

そんな想いで活動する彼女が取り組んでいる

現地の生地で現地の女性に作ってもらった商品であることに本当の意味がある。

豊かさのシェアをどんどん広げていきたい。

そして、そのものづくりの背景が支援としてではなく

本当に可愛い♡欲しい♡使いたい♡

と思って購入してくれたら

わたし達にとってそれ以上の事はないのです。

それがわたし達が伝えていきたい事です。

つづく






第3話 国内生産への道のり

日本にも生産拠点をおこう!


そう思ったのはお試しではじめた友人とのものづくりに多くの反響をいただき再販を依頼してもコロナ禍でケニアから帰国した友人のブランド分を自作する事が精一杯で手が回っていない状況でした。

それでも注文や問い合わせが入る。止む無くお断りしても待ちます。とのお返事。

わたしは自分が甘かったなということに気づきました。実は再販がかかり在庫をご用意できなかったことは今回が初めてではない。

その時に得た体験を二度と繰り返してはいけなかったのにまた繰り返した。

自分のこの事業にかける想い、これから自分で事業を手掛けていきたいと思っているのにそれが結果として残せていない。残そうとすらしていないのではないかという現実と自分の弱さとに直面しました。



今回はNGOに所属して活動する友人の想いも現地のテーラーさんの想いも詰まった商品です。これでヒットしたら2、3弾と続けていこうと話していた。ところが、品切れの商品の補充ができない。この状況をどうするか。そこで国内にも生産の拠点をおこう。そうこれは良いきっかけ。このコロナ禍でビジネスが立ち行かなくなっている人も多い中どうあるべきかと模索する人も多いはず。わたしの大好きな梨花さんもロックダウンでハワイから出ることされ許されず撮影クルーが上陸することも許されず専属雑誌のカバーが継続できないかも?という状況下の中にいます。その中でできることそれはこの現状でできることを模索し伝えていくことなのです。



ケニアでの生産が皆無になりそれでも商品を届けるためにするべきことは自分の力、自国でなんとかしなければならない。まず、同じ商品の生地を日本で探すことから始まりました。ヒットした作品に取り扱ったキコイという生地の調達が日本では難しくかき集めて30点ほど。お盆シーズンで世間はお休みの中急な連絡にも対応してくださり良い出会いがありました。今度は作家さん探しです。工場や個人に連絡を取り請け負ってくれるとても親切な方と出会いました。



今回のものづくりを通して自分の未熟さに気づきました。

まず、商品は全て完売してしまったので商品のサンプルがない。試作も全てケニアの工房。

現地はパターンなしで製作するそうでパターンもない、規格もない。

辿ればわたしが友人とこの企画を進めるにあたり何回かの打ち合わせはしましたが

この生地で日本人受けする作品を作りたいと生地を見せてもらいわたしがこんなのはどうかと提案しざっくり資料画像と規格を送りメッセンジャーを使った深夜のミーティングではこここんなふうにしたら?そこ捨てちゃうの?もったいない何かに使いたい。持ち手はもう少し大きく、持ち忘れ防止にケースをつけて小さなバッグのお出かけでも引っ掛けて使えるようにしたい。

などなど言いたいことを言うだけいってそれをサンプルとしてあげてくれてよければ商品化といった感じで仕様書なんて影も形もないくらいアバウトなものづくりなんです。そういう工程をいざ国内にと切り替えた時、日本人の仕事の正確さと真面目さを再確認したのです。規格は?仕様書は?あたり前ですよね。頭の中のイメージを他人に伝えてカタチあるものにしてもらう。大事な工程です。海外と国内のモノづくりの差を目の当たりにしました。どちらが良いとか悪いとかではなくどちらのやり方も間違いではないんです。仕様書がなくてもケニアのテーラーさんは感覚で覚えていて同じものを作れるから。ただ、困るのは同じものを違う人に作ってもらうってなったときにパターンがないのは致命傷だなって気づいたのです。



コロナ禍でケニアで生産できていたら気づかなかった。この状況下でできないことを悔やむより学びに変えて前に進む方がずっと楽しい。そう教えてくれた出来事でした。



今、わたしができることは細かいことを除き一通り終え、完成を待っているところです。商品が届いたらまた始まります。それまでものづくりの背景や気づきを伝えていけたらと思っています。


第4話 ケニア産と国内産のタッセルについて

ケニア産のキコイのフリンジは

 

解かれた状態で売られているそうなのですが

 

日本で購入したキコイはフリンジが丁寧に結んであります。

 



 

 

友人によると品質を保つ作業の一部らしいのですが

 

フリンジ部分をタッセルにするにはこのくせが厄介で

 

伸ばす作業はしていますがクセが強くて残ってしまうと思いますが

 

取り外しが可能なのでこれも日本産の特徴として捉えていただければ

 

一度はタッセルの復元を諦めたもののチャレンジすることにしました。

 

腱鞘炎になりかけるため解く作業は一日量に限界がありますが

 

ノルマを決めて作っています。

 

そちらの作業やゼミナールの資料作りに追われなかなかSNSまで辿り着けず

 

子供と寝落ちしていますが

 

更新を待っていてくれている方もいるみたいなので

 

できるだけ更新を心がけていくつもりです。

 

 

ケニア産と異なり




 

国内産はタッセルのクセが強く出てしまうことをご理解いただきたいです。

 





よろしくお願いいたします。

 

キコイのトートバッグも最終工程に入り

 

追加分も届く予定です。

 

新作も考案中なので

 

楽しみにしていただけたら嬉しいです。

 

当面の間わたしのタッセル製作は続きます。